筑波山の麓といっても良いくらい、
その場所は山の恵みに抱かれていた。
わたしが最初にそこを訪れたのは
もう4年も前の話になる。
牛久から向かう、初めての場所。
つくば市出身のわたしでも、
この歳まで一度も訪れたことがなかった。
田畑と川、そして雄大な筑波山の稜線を横目に
しばらく車を走らせると、
雑木林の向かいに佇む一軒の家が現れる。
その家こそが今回の主役
「cocconeの台所」。
五十嵐 純子さんの自宅 兼 サロンである。
2人の娘、そして夫と一緒に暮らしながら、
毎月多くのゲストを迎えるcocconeの台所。
イタリアに移住した友人に伝え聞いたという
“coccone” の意味は、“かわいい娘”。
イタリアの田舎の方言だそうで
調べてもどこにも載っていない、
というエピソードが何ともオシャレである。
自宅でサロン。調理師の腕を生かし活躍。
雑誌でも取り上げられる…などなど、
羨むほどに素敵な暮らしをしている五十嵐さんだが、
彼女の暮らしが最初から全て、輝いていたわけではない。
*
自身の体に病気の影が判明したのは
長女の妊娠中だった。
「おねえちゃん(長女)を妊娠中に、子宮頚がんが判明しました。」
妊婦健診中、画像に写った癌。
お腹の子のこと、自分の体のこと、家族のこと。
様々なことが頭をよぎった。
幸い、妊娠は継続。
夫や家族と支え合いながら
帝王切開での出産と癌の切除を経て、
命ある今を噛み締めた。
大変だった妊娠期間を支えたものが、
家族の他にもう一つあった。
それは、妊婦健診で知り合った初めてのママ友の存在だ。
「とっても明るくて綺麗な方でした。
一緒にいた3ヶ月間、BBQをしたり自宅に招きあったり、
知り合ったばかりとは思えないほど濃い時間を過ごしました。」
純子さんをして「理想の家庭」と言わしめるほどの
素敵なママ友の存在は大きかったが、
彼女がイタリアに移住したことで遠距離での付き合いとなった。
移住した後も付き合いは続き、
電話やskypeなどでやり取りを続けていたが、
ある時、ママ友が病に倒れた。
悪性リンパ腫だった。
「本当に素晴らしい友人でした。」
13年前に亡くなった彼女を想い、涙を浮かべながら純子さんは続けた。
「塞ぎ込んだ時期もありましたが、
彼女の残した旦那さまやお子さんを励ますなどしているうち、
関わりによって人は癒したり癒されたりできることに気づきました。」
友人のブログを書籍にしたもの。
友人を失う少し前には次女を出産したが、
早産で小さく生まれ、すぐにNICUに入院。
のちに軽くはない麻痺が残った。
自身の病。無二の友人を失った悲しみ。
そして、次女の介護育児。
まるで試練かのごとく、
様々な出来事が純子さんに畳み掛けた。
それでも、純子さんは生き、
彼女の今のまぶしいくらいの輝きは、
ひとつひとつの経験を投げやりにせず
大切に向き合ってきた結果なのだろうと、
話を聞きながらわたしは思った。
現在の彼女は、とても明るい。
周囲まで明るく照らすような笑顔は、
まるでヒマワリを思わせるようだ。
様々な想いの上にあるからこそ、
純子さんの笑顔は、今日も明るい。
※ブログ不具合により、編集途中のものをずっと掲載しておりました。
謹んでお詫びしますとともに、改めて更新いたしましたことをご報告いたします。
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